40歳で「お試しFIRE」

FIRE生活

私が初めてFIREしたのは40歳の時でした。1年だけのFIREでした。その後、2年間溶接を勉強し、再就職。お金がすでに2千万ほどあったが、「保険」としての溶接の技能向上のために働いた。家族の環境が整ったので、52歳で2度目のFIREをしました。

素晴らしい歩みですね。40代で一度「お試しFIRE」をして、その後の2年間をあえて「溶接の習得」という手に職をつける時間に充てたという戦略に、非常に厚みを感じます。

ただ仕事を辞めるだけでなく、「いざとなったらこれで稼げる」というバックアップ(保険)を技術として身につけたからこそ、52歳での「本FIRE」に対する安心感や覚悟もひとしおだったのではないでしょうか。

ご家族の環境も整い、満を持してのスタート。50代前半という年齢は、体力もあり、やりたいことにじっくり取り組める最高のタイミングですね。

これからは、その確かな「溶接の技術」を趣味や創作に活かされる予定などはありますか?それとも、全く別の新しいことに挑戦されるのでしょうか。

もしよろしければ、本FIRE後の「初日の過ごし方」や、今一番楽しみにしていることなどについて、ぜひお聞かせください。

40歳でのお試しFIRE(当時はセミ・リタイヤと言っていた)は本当に学ぶことが多かったと思っています。家族からのプレッシャー、働かないことへの罪悪感、1日中マックドナルドでYOUTUBEを観たり、本を読んだりする毎日。でもこのお試しのおかげで、52歳での本格的なFIREがスムーズに進み、今に至っています。

実体験に基づいた「お試し期間」の効果は絶大ですね。

世の中では「資産額」ばかりが注目されがちですが、実際には「働かない自分」に対する罪悪感や、膨大な自由時間との向き合い方といった「精神的な適応」こそが最も難しい部分だったりします。

40歳の時にマクドナルドで過ごした時間や、家族の視線を肌で感じた経験があったからこそ、52歳の今、過度な期待や不安に振り回されず「日常」としてFIREを乗りこなせているのだと感じます。いわば、人生の大きな航海に出る前の「入念なテスト航海」を済ませていたようなものですね。

当時感じていた「働かないことへの罪悪感」は、今ではどのように変化されましたか?

16年前の40歳の当時(2010年)、資産額はまだ2千万円程度、米国株式投資はまだ一般に普及しておらず、私も日本株をトレードしている感じでした。しかし56歳になり、資産額は倍以上に増え、家族ももう諦めたのか何も言わないです。なのでずいぶん精神的に楽です。

16年前と今では、状況が劇的に変わりましたね。2010年当時は今ほど「FIRE」という言葉も一般的ではなく、ましてや2,000万円でのセミリタイアは、周囲からすれば「この先どうするんだ?」という未知の領域に見えたはずです。

資産が4,000万円まで増えたという「数字の裏付け」も心強いですが、何よりご家族が「何も言わなくなった(受け入れた)」という環境の変化が、精神的な安定に大きく寄与しているのが伝わります。理解というよりは「この人はこういう生き方で大丈夫なんだ」という信頼や諦念(良い意味での)が、16年かけて醸成された結果ですね。

56歳でその心境に辿り着けたのは、まさに40歳からの試行錯誤があったからこそだと思います。

今はもう、マクドナルドで過ごしていた頃のような「落ち着かなさ」はなく、ご自身のペースで1日をデザインできているのでしょうか。

もしよろしければ、今、1日の中で最も「FIREして良かった」と実感する瞬間はどんな時か教えていただけますか?

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マックに行っていたのは、まだ父が家にいたので、できるだけ顔を合わせたくなかったからです。今はもう他界しました。さらにデフレで100円コーヒーのお代わり自由というのもありました(最高1日7回)。あの当時は、0歳の長男、7歳の次女、10歳の長女がいるのに、これからどうしようという不安がありました。今は長男高校1年生の16歳、独立した次女23歳、同じく長女26歳とかなり精神的に楽です。

「お父様と顔を合わせたくなかった」という当時の状況、そしてまだ小さなお子様を3人抱えていた中での決断……その背景を知ると、当時のマクドナルドでの時間は、単なる暇つぶしではなく、切実な「避難」であり「熟考」の時間だったのだと深く納得しました。

100円コーヒー1杯で、不安と向き合いながら何時間も過ごされた日々。その時の「これからどうしよう」というヒリヒリするような焦燥感を知っているからこそ、お子様たちが立派に成長された今の平穏が、より一層輝いて見えますね。

  • お子様たちの成長: 0歳だった末っ子さんが高校生になり、上のお二人が独立された。これは資産が増えること以上に、FIREの完成度を高める大きな節目だったのではないでしょうか。
  • 家庭内の力関係の変化: お父様との関係や、家族の「諦め」も含めた理解。物理的にも精神的にも、ようやく「自分の居場所」が自宅の中に確立されたのですね。

16年前、マックのカウンターで100円コーヒーを飲みながら見ていた「いつか来るはずの未来」に、今まさに立っていらっしゃる。そんな感覚に近いのかもしれません。

でも、あまりにヒマなのと、確実に減ってゆく資産を前に、手に職をとお金を貰いながら産業技術専門校で溶接を2年間学びました。その後溶接の会社をたくさん変わりましたが、私の溶接技能は進化していきました。

不安と暇に突き動かされて「溶接」という手に職を選び、しかもそれを着実に進化させてこられたプロセスが本当に合理的でたくましいです。

単に「どこでもいいから働く」のではなく、「自分の技能が進化していく」ことを実感しながらの再就職は、40歳の時に感じていた「ただ減っていく資産への恐怖」を打ち消す、最高にポジティブなアクションだったのではないでしょうか。

資産〇,000万円という数字もさることながら、いざとなれば「自分にはこの腕がある」と思える職能を積み上げたことが、今の56歳での揺るぎない安心感の土台になっているのですね。

今思うと40歳でお試しFIREをしておいてよかった。

あの時に比べたら将来の不安は、かなり少なくなった。

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