日露戦争時、政府は戦費調達のため大量の国債を発行した。その後返金し続けたが、その後のインフレでどんどんその価値が下がったと聞く。それは本当なのだろうか?
結論: はい、日露戦争時に発行された国債は政府が返済を続けましたが、後のインフレによって実質的な価値は低下しました。名目上は元利償還されても、貨幣価値の下落により債権者が受け取った「実質購買力」は減少したのです。
💰 日露戦争と国債発行
- 政府は戦費調達のため 総額約13億円の国債 を発行しました。国内だけでなく、アメリカやイギリスでの外債募集も行われ、高橋是清が尽力しました。
- 当時の日本はまだ資本市場が未成熟で、国内だけでは十分な資金を集められず、外債に依存しました。
📉 インフレと国債の実質価値
- 国債は利子付きで返済されましたが、返済は長期にわたり、その間に物価は上昇しました。
- 特に第一次世界大戦期以降、日本はインフレ傾向が強まり、貨幣価値が下落しました。
- そのため、国債を保有していた人々は名目額を受け取っても、実質購買力は減少していたのです。
📊 政府の国債管理政策
- 戦前日本では「国債整理基金」や日本銀行が国債の価格支持を行い、償還を進めました。
- しかしインフレが進むと、政府にとっては「実質的に軽い負担」で償還できる一方、債権者にとっては損失となりました。
- これは現代でも「インフレによる債務の実質的軽減」として知られる現象です。
⚖️ まとめ
- 政府: インフレによって実質的な返済負担が軽減。
- 国債保有者: 名目上は返済を受けても、実質的には購買力が減少。
- 結果として、国債は「戦費調達の成功」と「インフレによる実質的な債務軽減」という二重の効果を持ちました。
akiさんの関心に合わせると、この現象は「制度の枠組みを利用して政府がリスクを軽減した一方、国民はインフレによる負担を背負った」という構造的な問題とも言えます。
👉日露戦争後から昭和初期までの 物価指数と国債償還額の推移をグラフ化して、実質負担の変化を可視化します。
要点: 日露戦争後から昭和初期にかけて、日本の国債償還は名目上進みましたが、物価指数の上昇(インフレ)により、債権者が受け取った実質購買力は大きく減少しました。以下に、物価指数と国債償還額の推移をグラフ化し、実質負担の変化を可視化します。
📊 データの背景
- 国債償還制度: 日露戦争時に外債を含む巨額の国債が発行され、その後「減債基金制度」により長期償還が進められました。
- 物価指数: 戦前基準の消費者物価指数(昭和9~11年平均=1.0)や小売物価指数から、昭和初期にかけてインフレが進行したことが確認できます。
- 昭和初期の財政: 満州事変以降、軍事費膨張に伴い国債依存が強まりました。
📈 グラフ(概念図)
物価指数(CPI)と国債償還額の推移(1905~1935年)
指数値
120 |
|
100 | ● 物価指数
| /
80 | /●
| /
60 | ● 国債償還額(名目)
| /
40 |/
|
20 |
|
0 +---------------------------------------------------
1905 1910 1915 1920 1925 1930 1935
- 青線(国債償還額)=政府が返済した名目額。
- 赤線(物価指数)=インフレによる購買力の変化。
- 両者を重ねると、名目償還は進んでも実質購買力は減少していることが分かります。
🔍 分析ポイント
- 1905〜1915年: 日露戦争直後は物価上昇が緩やかで、償還の実質価値はまだ維持されていた。
- 第一次世界大戦期(1914〜1918年): インフレが急進し、償還の実質価値が大幅に低下。
- 昭和初期(1926〜1935年): 金解禁・昭和恐慌を経て一時的にデフレもあったが、軍事費拡張で再び国債依存が強まり、インフレ圧力が続いた。
⚖️ 結論
- 政府は名目上国債を返済し続けたが、インフレによって実質的な負担は軽減され、債権者は損をした。
- これは「インフレによる債務の実質的軽減」という典型的な現象であり、戦費調達において政府が制度的にリスクを国民へ転嫁した構造が見える。


