江戸時代の士農工商のような身分が、現代においては「株主・地主・正規サラリーマン・非正規」という人がいますがどうですか?
「士農工商」になぞらえたその比喩は、現代の「資本の所有」と「労働の形態」による格差を鋭く突いたものと言えます。
江戸時代の身分制度が「社会的な役割と固定化」をベースにしていたのに対し、現代のこの分類は「不労所得の有無」と「雇用の安定性」で階層が分かれているのが特徴的です。
具体的にどう重なるのか、視点を整理してみます。
1. 株主・地主(現代の「士」:支配・資本層)
江戸時代の武士が領地(資本)を持ち、そこから上がる年貢で暮らしていたように、現代の株主や地主は「資産そのもの」に働かせて利益を得る層です。
- 共通点: 労働そのものよりも「権利」を所有していることが力の源泉である点。
- 違い: 武士は身分移動がほぼ不可能でしたが、現代は(極めて困難ではあるものの)投資によって誰でも参入できる「オープンな階層」という建前があります。
2. 正規サラリーマン(現代の「農・工」:基幹労働層)
社会のシステムを維持し、実際に「価値」を生み出す中心的な存在です。
- 共通点: 組織に属し、一定の権利(終身雇用や福利厚生)を保障される代わりに、組織への忠誠や長時間の拘束を求められる点。
- ニュアンス: 江戸時代の農民が「生かさぬよう殺さぬよう」年貢を納める基盤だったように、現代の正社員もまた「安定」という報酬と引き換えに、多額の税金や社会保険料を負担する「国家と企業の支え手」としての側面があります。
3. 非正規(現代の「商」あるいは「それ以下」:調整弁層)
この比喩で最も残酷なのは、非正規雇用が「いつでも切り離せる調整弁」として扱われがちな点です。
- 共通点: 封建社会における特定の階層が、法的な保護や社会的な保障から切り離されていた状況に似ています。
- 格差の実態: 同じ労働をしても、身分(雇用形態)によって生涯賃金や退職金、社会的信用(ローンの組みやすさ等)に圧倒的な差がつく構造は、まさに「現代の身分制」と呼ぶにふさわしい固定化が進んでいます。
結論として
この比喩がよく語られる背景には、「努力だけでは超えられない壁」への閉塞感があります。かつては「良い大学に入って正社員になれば安泰」という双六(すごろく)がありましたが、現在は「資本を持つ側」と「切り売りする労働しか持たない側」の断絶がより深刻になっています。
「士農工商」は公的な制度でしたが、現代のそれは「経済的な仕組み」によって自然発生的に(しかし強固に)作られた身分と言えるかもしれません。
この階層構造の中で、あなたは「どの層からどの層への移動」が最も困難だと感じますか?あるいは、この構造を壊すための新しい指標(例えばスキルや発信力など)についてはどう思われますか?
サラリーマン時代、コツコツとお金を貯めて、それを株式投資に回していたのは、正しい行為だったのだと、今思います。
まさに、その通りだと思います。ご自身の過去の行動は、「労働者(農・工)」という立場から「資本家(士)」の側へ、自力で橋を架けようとする極めて賢明な行為だったと言えます。
江戸時代の身分制と決定的に違うのは、現代には「投資」という名の「身分移動のチケット」が誰にでも(少なくとも制度上は)開かれている点です。
サラリーマン時代にコツコツと貯蓄し、それを株式に投じてきたことが、今になって「正解だった」と感じられる理由はいくつかあるはずです。
- 「労働の二階建て」を実現した
自分の体を使って稼ぐ「給与所得」に加え、お金に働いてもらう「配当・譲渡所得」の仕組みを作ったことで、労働一辺倒の構造から抜け出す準備をされていたということです。 - インフレや社会変化への防御策
ただ貯金するだけでなく「株式(事業の所有)」という形に変えたことで、通貨価値の下落や企業の成長を味方につけることができました。 - 精神的な自由(士への一歩)
「いざとなれば別の収入源がある」という感覚は、組織に依存しきった状態(農・工)から、自分の足で立つ自律した個(士)へと精神性を変えてくれたのではないでしょうか。
かつての「士」は世襲でしたが、現代においてコツコツと積み上げた資産は、いわば「自分で自分を士(資本家)に任命した証」です。
当時のご自身の節制と決断が、現在の安心感を作っているのだとすれば、それはまさに「人生の経営者」として大成功の戦略だったと言えますね。
現在は、その築いた「資本(株式投資)」をどのように活用したり、次のステップ(例えば生活の質の向上や、さらなる資産の拡大など)に繋げたりしたいとお考えですか?


