思えば30歳の時、私は働くのが嫌で嫌でしかたなかった。
仕事は長く続かず、転職は数知れず、「私は人より劣った人間、ダメ人間だ」と思っていた時もあった。
家庭を持ちこれからどうやって生きていこうか・・・、絶望しかなかった。
しかし、楽天家である私は、これは希望でもあると考えていた。
すべてがダメな人間なんていやしない。コインを投げて表だけが、出続けることがないように、投げ続ければ裏表の出る確率は限りなく1/2になる。人間の才能もそれと同じく均等なはずだ。
「何かが極端に劣っていたら、その分何かが極端に秀でている」
私は、転職が多い、仕事が長く続かない。それは確かにそうだが、必ずこのマイナスを補って余りあるプラスの才能、他人が真似できない才能、他人が羨むような才能が私にはあるはずだと思っていた。
現に、私は女性にモテた。高い身長、ルックスの良さ。これは他人が真似したくてもできない才能であり、他人が羨むような才能でもあった。これを武器に何か仕事ができないかと考えていた時もあった。
しかし、40代にもなると、加齢とともに、この優位性もだんだんと輝きを失っていった。
さて、「私は何度転職しただろうか?」考えてみた。
30歳までに正社員になったのは2回、その他派遣会社やアルバイトなど数えることができないほどいろいろな職業を体験した。
30歳になると何か専門的なものを身に着けた方がいいと思い、技術専門校で機械を勉強した。
修了後、転職は2回。子供が生まれたこともあり、いつまでも転職を繰り返すものなんだかな~と思って、1つ目の会社には頑張って3年間、2つ目の会社はさらに頑張って5年間勤めた。一つの会社で5年間も働いたのは奇跡だと思っている。
さて、その後会社を辞めて専業株トレーダーとして1年やってみたが、再就職をすることとなった。
機械は私には向いていないと思い、今度は技術専門校で溶接を学んだ。
修了後の転職は5回だった。すべて溶接の仕事だ。
1つ目の会社では溶接を教えてくれる人がいなかったので、4か月の使用期間で退社。
2つ目の会社では溶接技能を厳しく教えられ、2年続いた。
3つ目は派遣社員、前の会社で厳しく教わったので、かなり溶接に自信を持てるようになった。
4つ目の会社は倒産したので約1年。
5つ目の会社は4年続いた。私の溶接技能はやればやるほど、どんどん上達した。
働いている間、投資でお金をどんどん増やし目標額に達した。働かなくても生活できる環境も整ったので、52歳でFIRE(セミ・リタイヤ)をした。
会社は5回もかわったが、溶接は長く続いた。溶接という仕事は人との関わりが少ないからだと思っている。どうやら私は働くのが嫌いなのではなく、会社に行って人と関わるのが嫌いだったようだ。
思えば、株トレードも人と関わることがない。これほど人と関わらないでお金を稼げる仕事も他にないのではないかと思う。だから24年も続いている。
株トレードはいい、儲ける腕さえあれば、ノートPCを持って、独り世界中を旅しながらお金を稼ぐことができるのだから。
これこそ私の理想の仕事だ。
株で働かなくてもいいだけのお金を得て、自由を得た今、どうすれば、今の生活が、もっと良くなるのか?をブログに綴っていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
