放送授業が始まった

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放送授業が始まった。

印刷教材を読み、長男と一緒に授業を観ている。

正直、長男は退屈そうだ。しかし大学の授業なんて、どこも、こんなものだろう。何か大きな期待をしていたようだが・・・。

これから4年、この退屈に耐えなければならない。

考えてみると進学校の学生はこんな授業を受けるために、高校3年間を大学受験のために費やさないといけない。大学に入るために3年間、そして入った後の4年間の最低計7年間を費やす。

正直、この7年間、人生にどれほど必要なことを学ぶのだろうか?

まだ放送大学はいい。授業科目が300以上あるのだから、楽しいい、興味のあるものもあるだろう。しかし普通の大学にはそれほどあるとは思えない。少なくとも日本最大の私立大学・日本大学の授業科目はそうだった。

まだ、G‐MARCHIのように、この退屈を乗り越えれば、いい会社に就職できるという希望があるのだろうが・・・。

気になったので、AIに聞いてみた。

放送授業の始まりとともに、期待と現実のギャップに直面している息子さんの姿、そしてそれを見守る親としての複雑な心中、お察しいたします。

「この7年間(受験3年+大学4年)で、人生に必要なことをどれほど学べるのか」という問いは、日本の教育システムを通る多くの親子が一度は抱く、非常に鋭く、かつ本質的な疑問です。

その答えは、「目に見える授業の内容」よりも、「その期間をどうサバイバルするかという過程」に隠されているのかもしれません。

1. 「退屈」が教えてくれること

大学の授業(特に大教室での放送授業や講義形式)は、しばしば「知識の切り売り」に見え、刺激に欠けるものです。しかし、社会に出ると、実は「退屈で、かつ自分ではコントロールできない環境」で成果を出し続けなければならない場面が多々あります。

  • 忍耐の訓練: 興味のないことにどう折り合いをつけ、自分の時間を捻出するか。
  • 取捨選択の力: 全てを真面目に受けるのではなく、どこに力を入れ、どこで手を抜くかという「戦略的要領」を学ぶ機会でもあります。

2. 受験勉強の「目に見えない果実」

進学校での3年間は、確かに暗記や解法に追われる日々です。しかし、そこで得た知識そのものよりも、以下の「思考の体力」は一生の財産になります。

  • 目標達成のプロセス: 「高い目標を立て、逆算し、自分を律して努力する」という成功体験(または挫折体験)。
  • 知のネットワーク: 大学という場所は、授業内容以上に「似たような知的負荷をくぐり抜けてきた仲間」に出会える場所としての価値が非常に高いです。

3. 大学4年間の「本当の使い道」

もし大学の授業が「人生に不要」だと感じるのであれば、それは裏を返せば、「それ以外の時間を自由に使える権利」を手に入れたことになります。

  • 余白の活用: 授業が退屈であれば、その時間を使って専門外の本を読んだり、学外のコミュニティに参加したり、あるいは「何もしない贅沢」を味わうこともできます。
  • 試行錯誤の猶予: 社会に出る前のこの4年間は、失敗しても人生が詰まない「最後のモラトリアム」です。授業に期待するのではなく、「大学というプラットフォームをどう利用してやろうか」という視点に立てると、景色が変わるかもしれません。

息子さんが今感じている「退屈」や「期待外れ」という感覚は、彼が「自分にとって本当に価値のあるものは何か」を探し始めた証拠でもあります。

親としては、その退屈さを否定せず、「じゃあ、浮いたエネルギーで何をしようか?」と、大学の外にある面白い世界(インターンシップや海外一人旅、あるいはプログラミングや芸術など)に目を向けるきっかけを、さりげなく共有してみてはいかがでしょうか。

人生に必要不可欠なことは、案外、退屈な講義の最中にノートの端へ書いた「落書き」や、その後に友人と交わした「くだらない議論」の中に転がっているものです。

次に息子さんと話すときは、「大学をどう使い倒すか」という作戦会議をしてみるのはいかがですか?

例えばどうゆう風にすればいいですか?

「大学を使い倒す」ための作戦会議ですね。息子さんの「退屈だ」という不満を逆手に取って、「じゃあ、このシステムをどう利用して自分の得にするか?」という視点に切り替えるのがポイントです。

親御さんから提案できそうな、具体的で少しワクワクする「使い倒し方」をいくつか挙げてみます。

1. 「出席」を「自分のプロジェクト時間」に変える

もし放送授業や大教室の講義が、ただ座っているだけで単位がもらえるものなら、それは最高の「給付型自習室」です。

  • 提案の仕方: 「授業が退屈なら、内職(他の勉強や趣味)を極めてみたら? 教授の話をBGMに、自分が本当に読みたい本を読んだり、資格の勉強をしたりするのはどう?」
  • 狙い: 「拘束時間」を「自由時間」に変換する思考を持たせます。

2. 大学の「設備・特権」をしゃぶり尽くす

学生という身分は、社会人が喉から手が出るほど欲しい「ツール」を無料で使える権利です。

  • 図書館の活用: どんな高い専門書もリクエストすれば買ってくれますし、他大学の論文も取り寄せられます。
  • 学割の暴力: Adobeのソフト、新聞の購読、Amazon Prime、美術館の入場料など、あらゆるものが格安です。「学割を使い切らないのは損だぞ」と焚きつけます。
  • 研究室の扉を叩く: 放送授業はつまらなくても、個々の教授は特定の分野のオタク(専門家)です。「実は面白い研究してる先生、いないの?」と聞き、アポなしで質問に行かせてみるのも手です。

3. 「学外」へ飛び出すための拠点にする

大学を「学ぶ場」ではなく「帰る場所(拠点)」と考えます。

  • 課外活動の推奨: 「大学の勉強が物足りないなら、学外のインカレサークルや、社会人が集まる勉強会、ボランティアに行ってみたら?」
  • 長期休暇の活用: 「4年間で1回は、1ヶ月くらい海外へ行くなり、地方で住み込みバイトするなり、大学が関わらない場所で勝負してみたらどうだ?」と、広い世界を見せます。

4. 「コスパ最強の単位取得」をゲーム化する

真面目に受けるのが苦痛なら、いかに最小限の努力で単位を揃え、余った時間を「自分の好きなこと」に全振りするかを競うゲームにします。

  • 提案の仕方: 「いかに効率よく、A評価(優)を並べるか。その戦略を立てるのも一つの能力だよ。浮いた時間で、君が本当にやりたい『何か』を見つけようぜ」

結局、大学の4年間で一番価値があるのは「授業」そのものではなく、「何者でもない自分が、何にでもなれるための圧倒的な自由時間」です。

息子さんに、「退屈な授業に従順に従うのが『良い大学生』ではない。大学という大きなシステムを、自分の人生を豊かにするためにハック(攻略)してやれ」と伝えてみてはいかがでしょうか。

まずは、息子さんが今、授業以外で「これなら何時間でもやっていられる」と思えることを聞いてみることから始めてみませんか?

そこまでして、高い授業料を払う必要があるのですか?放送大学ならまだ授業料が安く学士号がとれるので、許せますが・・・

仰る通りです。冷静に計算すればするほど、年間100万円単位の授業料を払って「退屈な授業」や「自習」を買っている状況は、経済的な合理性を欠いているように見えます。

もし「知識を得ること」や「学士号(大卒資格)を取ること」だけが目的なら、放送大学や通信制大学の方が圧倒的にコスパは良いです。

それでも、多くの親が(そして社会が)高い授業料を払って「通学制の大学」に価値を見出す理由は、授業内容そのものではなく、以下の「目に見えない付加価値」にお金を払っているという側面があります。

  1. 「環境」という強制力
    放送大学は素晴らしいシステムですが、一人でモチベーションを維持し続けるのは至難の業です。高い学費を払い、物理的にキャンパスへ行き、周りに同じ境遇の学生がいる「環境」をセットで買うことで、卒業まで漕ぎ着ける確率(強制力)を買っているとも言えます。
  2. 「ピア・エフェクト(同伴者効果)」
    進学校から難関大へ行った場合、周りにいるのは「同程度の知的負荷を乗り越えてきた若者たち」です。彼らと無駄話をしたり、一緒にサボったり、時には刺激を受けたりする「人間関係のネットワーク」は、放送大学では得にくい、一生モノの資産になります。
  3. 「新卒カード」というプラチナチケット
    日本の労働市場において、「通学制大学の新卒」という肩書きは、依然として就職活動において圧倒的な威力を発揮します。多くの企業が「一定の偏差値の大学を4年で卒業した」ことを、「一定の事務処理能力と忍耐強さの証明」として採用の足切りに使っているという冷酷な現実があります。

結論として

もし息子さんが「大学の授業は無駄だから、自分でやりたいことがある。放送大学に切り替えて、浮いたお金と時間で起業したり、専門スキルを磨いたりしたい」と明確な目的を持って提案してきたなら、それは検討に値する素晴らしい選択肢です。

しかし、単に「退屈だから」という理由だけであれば、高い授業料は「将来の選択肢を広げるための保険料」兼「同じレベルの仲間と出会うための入場料」だと割り切るしかないのかもしれません。

親御さんとしては、「この高い入場料(授業料)の元を取るために、授業以外で何を手に入れるつもりだ?」と、息子さんに「投資対効果」の視点を持たせてみるのはいかがでしょうか。

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